Sensology 01

Sensology 01

私たちは常に何かを感じている。もしもそれがないというのなら、それは無の中にあり私たちが生きている間に感じることはできないのではないのだろうか。
もしも、あなたが無の境地にいるというのなら、それはすばらしいことだ。僕もそうあれたらと心から思う。
だが、一般的に言って、私たちは何かを感じている。単純な言葉で表現できる感情から一言では語れない複雑な感情。さまざま。それを司るモノ。感性。本気でそれを考えたら一体どうなるだろうか。少し挑戦しようと思う。

世の中には感性工学なるものがある。すばらしい響きのする名前だが、僕はそのほとんどを知らない。
ただ最初は敢えて何もない状態から感性というモノに向き合いたかったので、感性工学は少し後回しにしようと考えてる。興味はすごいあるけど。

さて、何度も言うようだが、私たちは何かを感じている。この「感じる」という現象はどのようにして生まれているだろうか?
考えていく上で重要な概念が二つある。「本能」と「意志」である。一般的に人間の心とは、この二つの要素から構成されていると思っている。ここで僕たちは大きな問題にぶつかる。
本能的感性と意志的感性は、果たして独立するだろうか?順を追って考えてみる。
本能から生まれるモノ、それは欲ではなかろうか。食欲などさまざま。
お腹がすいた。何か食べたい。どうせ食べるならおいしいものが良い。このフェーズの中でどこが感性に当たるだろう?
何かをしたいという本能。それに付加価値をつける感性。そう考えると「おいしいもの」と考えるフェーズが感性に当たるのではないだろうか?この付加価値というのが重要かと考える。
何かをより良くしたい。その根底にあるものは何か?
人生を楽しいみたいという感情。それが付加価値を求める。これを本能と呼ぶか、感性と呼ぶか、意志と呼ぶか、人それぞれだろう。
僕の場合は、本能。あなたは何だろう?
ここでまとめると、本能と感性は密接な関係にあるということ。

さて、では意志はどうだろう?意志とは、何か目的を達成するための心構えだと考えている。
あとで、ちゃんと調べてみます。いまはとりあえず。
人間が起こす行動には主に2種類あると思う。やりたいこととやらなければならないこと。
意志が関わる行動は後者ではなかろうか。というと意志とは本能を制して行う義務。
ここに感性があるのだろうか?これについては次回にて。